気のせいかもしれないけど

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私の父は50歳で亡くなりました。
そのとき私は23歳でしたが、
仕事で関わりのある50代の方達は、
皆、おじいちゃん、という感じでしたので、
そのときは、特段、「早い死」とは思いませんでした。

 

今、自分が実際にその年齢を超えてみると、
日々こうやって、インターネットで発信している自分自身と比較して、
49歳で発病し、50歳の誕生日を病床で迎え、
そのまま亡くなった父の死は早すぎると思います。

 

病名は悪性リンパ腫でした。

 

私の結納の日に、単身赴任先から帰省した時に、
あごの付け根がポコッと腫れており、
それを見咎めた母のすすめで病院を受診、
単身赴任先で入院、家のある地元に転院、
そして、あっという間に亡くなりました。

 

逆縁でその死を見送った祖母は、
8年後に84才で亡くなりました。

 

ですが祖母の葬儀は父のときと全く雰囲気が異なり、
穏やかで平和で幸せなものでした。

 

祖母は、脳溢血だったので天寿を全うしたとは言えませんが、
それでも80代で亡くなると、50歳で亡くなった父とは異なり、
葬儀に参列する方達の表情も穏やかに柔らかく、
思い出話に冗談さえも飛び出て、なごやかな葬儀でした。

 

早すぎる死というのは、喪主の方にも周囲の方にも、
深い悲しみを伴います。
それが不慮の事故であれば尚更ですし、
事件やトラブルの結果として、
尋常ではない亡くなり方をされたのであれば、
残されたご家族の感情というのは、計り知れないものがあるはずです。

 

こういったサイトを運営していますと、
ふと、ご訪問のお客様の
強い悲しみが伝わってくるときがあるんですよね。

 

たぶん、昨日か今日おいでくださって、
村上クラフトさんの蛇腹(ジャバラ)巻戸スライド扉式の
『オーパ』をご覧になって行かれた方は、
どういったご事情にせよ、
突然のご家族の死を受け入れがたい方なのではないかと思いました。

 

心理学ではモーニングワークという言葉があります。
この場合のモーニングは、朝という意味のmorningではなく、
服喪という意味のmourningです。

 

心理学の分野では愛情、依存の対象を失うことを「喪失」と呼びますが、
この「喪失」の精神的なショックから時間を経て、
徐々に現実を受容していくプロセスです。

 

いや。

 

少し解説しようと思いましたが、やめました。

 

大切な人を失ったばかりの方に、
何をお伝えしても、その方の悲しみには届かないからです。

 

 

今はただ、旅立ってしまった方が、
様々なあれこれを一度リセットして、
あの世で満たされて幸せに笑って暮らすことを祈りましょうよ。
それを可能にするのが「死」という事実であることを信じてみましょうよ。

 

そんな思いかな。

 

 

なんだか・・・色々思い出して、悲しくなってきました。
昨年、若くして亡くなった仕事先の担当者のKさんや、
その前の年に、突然、自死を選んだSさんやAさんのことを思い出しました。

 

みんな、元気?私は幸せにやってるよ。
幸せになりたいときは、そこから降りてきて、
私と一緒にお酒を飲み、美味しいものを食べ、
同じ時間を笑って過ごそうよ。

 

 

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