事件や事故は嫌だけどそれがあるから覚えていられる

祖母が亡くなった年は平成7年(1995)で、
オウム真理教の地下鉄サリン事件があった年です。

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私の祖母は3月に亡くなったのですが、
意識がなくなってから亡くなるまでに2週間ぐらいあり、
急の知らせで東京から駆け付けた妹は、結果的に10日間ぐらい、
残してきた家族の心配などで落ち着かない気持ちを抱えながら、
実家(私が今住んでいる家)に滞在することになってしまいました。

 

人って現実的なものですよね。
死に目に会いたいと思うからこそ、万難を排して近くにいるのですが、
いつ終わるともわからない、意識のない入院状態が一定期間続くと、
帰りたいけど帰れない状態に陥ってしまいます。

 

そんな微妙な空気の中、実家の茶の間で、
姉妹二人して、無言で見ていたのが、
オウム真理教の上九一色村での強制捜査のニュース映像でした。

 

だから、私も妹も、祖母が亡くなった年は忘れないのです。

 

大きな事件や事故は本当はないほうがいいに決まっています。
ですが、それがあった年の出来事は忘れないものです。
それは風化しないその年の記憶として、心に刻まれます。

 

こういったら天国の父はきっと怒ると思いますが、
父の亡くなった年は、朝ドラで「おしん」をやっていた年でした。

 

なので、病院で付添をしていた母は、
病室の父の病床で見た「おしん」が忘れられないといいますが、
残念ながらそれは、私達姉妹の「オウム真理教」の記憶には勝てません。

 

今年はその父の33回忌でしたが、私は心の中でこっそり、
お父さんに「ごめんなさい」と謝りました。

 

 

 

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