仏像に手を合わせない若者が増えているそうです

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ある調べ物をしていたら、こんな写真にたどり着きました。
雑誌の1ページを撮ったもので、
「仏像に合掌できない若者の増加と家仏壇の関係」という見出しが付いた記事です。

 

(出典:内藤理恵子 のブログ

 

著述業で内藤恵理子さんとおっしゃる宗教学者のブログ
『月刊住職』2014年4月号コラム掲載のお知らせ」からの引用です。
記事写真を拝見すると以下のように書いてあります。

 

仏壇のない家が増えている。マンションでは八割以上が仏壇と無縁だという。そのためか、修学旅行などで仏像を前にしても、合掌しない学生が多いそうだ。おまけに、仏像自体にも大きな変化がみられる。

 

えっ、そうなんだ・・・
ということは、単なる彫刻や芸術作品のような気持ちで対峙するのかしら。
思わず中身を拝見したくなったので、すぐに掲載フォームからバックナンバーの問い合わせをしてしまいました。

 

雑誌は、株式会社 興山舎 (こうざんしゃ)という出版社が出している、
月刊住職」という雑誌です。いやぁ、色々な雑誌があるものですね。
それでは、私がこのサイトでお仏壇をご紹介するときに、
参考になるものもあるのでは?と思って探してみると、ありました。
鎌倉新書さんの「月刊仏事」などは、非常に興味深いですね。

 

鎌倉新書さんはお近くで評判の良い仏壇店を探せる「いい仏壇」クーポン有り
http://www.e-butsudan.com/
 などで名前は知っていましたが、
出版社のような社名なので、どんな本を出しているんだろうなぁ・・・と思っていました。
なるほど、こういった雑誌類も発行されているんですね。
葬祭関連業の知人が多い私ですが、自分は別な仕事ですので、
こういった専門業の情報誌を拝見すると、とても新鮮に思います。

 

さて、話を元に戻すと、私は若い頃、宗教や神仏を拝むことは馬鹿馬鹿しいことだと思っていました。
実態のないものを信じて崇拝しても、奇跡が起こって何かが変わるという考えは非現実的で科学的ではなく、
人が亡くなるということは、一切の生命活動がすべて消滅してしまうことですから、
魂の存在はあまり信じていませんでしたし、「あの世」という概念もおとぎ話のようなものだと思っていました。

 

ですが、この歳(50代)になって思うことは、神、仏、宗教はひとまず横に置くとしても、
自分が何かの秩序で動いている、とても大きな世界の中の一員であるということは意識したほうがいいし、
その大きな世界を構成している一要素であることを踏まえて行動したほうがいい、ということを、
よく考えるようになりました。

 

右手の爪の細胞と左手の爪の細胞はお互いの存在を知りませんが、どちらも私という体の一部分であり、
私と言う個体が栄養不足に陥れば、どちらもエネルギーが落ちてくるし、その逆ならどちらも活性化すると思います。
でも、右手の爪の細胞も左手の爪の細胞も、自分達の活発・不活発を左右しているのは、
私と言う人間の体調や生活態度や習慣であることを知るよしもないまま、
ものすごく小さな世界をすべてと思って、その中で生きているんですよね。

 

私、その関係が人間と宇宙との関係だったり、「この世」との関係だったりするんじゃないかと思うんです。
私達が、今、実際に目に見えて手で触れることができることだけが、この世のすべてと思うのは、
もしかして違うんじゃないかな、と、思っているんです。
それが正しいかどうかはわからないけど、目に見えない何かとつながっている、という感覚は大事だと思います。
宗教や、神、仏、の世界というのは、それを人にわかりやすく、擬人化したものではないかしらね。

 

先日、村上和雄 筑波大学名誉教授 の生命の暗号 という本を初めてKindle版で読みました。
ずっと昔に話題になった本らしいので、今さら、という感じかもしれませんが、
高名な分子生物学者(遺伝子)が、「研究を通じておおいなるものの存在を信じざるを得ない」
という主旨のことを、著書の中で何度も述べています。

 

それは遺伝子を知れば知るほど、「こんな素晴らしい仕組みを誰が考えたんだろう?」
という驚きと感動を抱くからだそうですが、そこに何かの意思を感じてしまうこともあるそうです。
これは、神様や仏様がいるかいないか?ということよりも、
この世には全体に連なる意思がある、と思ったほうがよいのではないか?という、
私がかねてから感じていた事柄と、ぴったり合致していて非常に共感しました。

 

村上さんは、また、「科学的ではない」ということをすべて否定するのはもったいない、
という主旨のことも書いていらっしゃいます。今は、私も同感です。
この世には、全体を統合する何かの意思や仕組みがあって、
それと自分がつながっている、あるいは、自分はそれを構成している構成員。
そして、全体が個であり、個が全体である、という考えを持つのも柔軟な思考ですし、
自分が全体に貢献することで、そのベネフィットがはからずも自分に戻ってくる、
ということも、きっとあると思うんですよね。

 

家にお仏壇を置いたり、仏さまやご先祖様や亡くなった方を拝んだりするのは、
そういった、見えないものとのつながりを信じ、感謝し、大切にするための、
最初の習慣ではないかと思うんです。
だから私は、その考えを次世代に伝えていくためにも、
家にお仏壇があるのって、いいことだと思うんですよね。

 

私の従弟がまだ小さかった頃に、叔母は従弟が仏壇の前に座ると、
「はい、なまなま」と言って、従弟の手を掴んで手を合わせさせ、
(仏壇の前ではこうやって拝むんですよ)と教えていました。
小さい頃は、それがなんだかよくわからなくても、
あとで大きくなったときに、血のつながり、人のつながり、モノとのつながりを、
大事にするための習慣なのだと気が付くと思います。

 

 

 

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